宗柏寺の歴史
一樹山宗柏寺(いちきさんそうはくじ)は、寛永八年(1631)、大僧都興正院日意(だいそうずこうしょういんにちい)上人によって、武蔵国豊嶋郡牛込村(むさしのくにとしまごうりうしごめ)の現在地に開創されました。 日意上人の父・尾形宗柏(おがたそうはく)が、寛永七年(1630)に草庵を結び、その示寂(じじゃく)ののち、日意上人が両親の菩提を弔うため、その地に堂宇を建立したもので、寺号は父・宗柏の名にちなみ、山号は母の法号・一樹院法興日順にちなんでいます。
宗柏は京都の呉服商雁金屋(かりがねや)の三代で、その母は本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の姉にあたります。本阿弥家の初祖・妙本(みょうほん)が、永享十二年(1440)、獄中で鍋冠り日親上人に帰依していらい、その一族はすべて日蓮宗徒となり、出家した者も少なくありません。
宗柏もまたその一門であり、幼少の頃から家族と共に熱心な宗徒でした。元和(げんな)元年(1615)、光悦が京都郊外の地・鷹ケ峰に、法華信仰による宗教的理想郷「鷹ケ峰光悦村」を築いたおり、その村造りの重要な一人として参画しています。
元和六年(1620)、二代将軍秀忠の女和子が後水尾天皇(108代)の女御(のち皇后、東福門院)となると、雁金屋(屋形家)は呉服商として出入りするようになります。屋形家はもと越前浅井氏とのつながりがあり、織田信長に滅された浅井長政の三女で、秀忠の正室である小督の方の口添えによったともいわれています。
 宗柏寺に安置される釈迦尊像は、元亀二年(1571)、織田信長によって比叡山延暦寺の諸堂宇が焼き尽くされたおり、一人の学僧によって難を免がれ、密かに尾形家に安置されていたもので、後水尾天皇が尊像を拝し、御宸翰(ごしんかん)に「釈迦牟尼仏」の号を賜った事も、東福門院(和子)とのつながりを除外しては考えられません。尾形家の人びとは、日夜この尊像を崇敬していたと推察されます。
日意上人は、京都頂妙寺(ちょうみょうじ)十三世、中山法華経寺三十六世に晋み、京都松ケ崎本涌寺(まつがさきほんにゆうじ)十一世の法灯を継いだ高僧で、『法華八教摂記』『六即名義』『誑少破円記』『観不思議境記』等を著わし、元禄二年(1689)十二月十九日、八十一歳で示寂しました。
江戸中期に活躍した画家・尾形光琳、陶芸家・尾形乾山は、日意上人の甥、宗柏の孫にあたります。
 元禄年中(1688〜1703)に入ると、江戸庶民の生活も安定し、物見遊山をかねた寺社詣でが盛んになります。当寺に安置される釈迦尊像や鬼子母神、浄行菩薩へ参詣に訪れる人びとがあとを絶たなかったといわれるのもこの頃からのことでしょう。
その反面、「生類憐みの令」をはじめとする治政の歪みが庶民を苦しめ、日蓮宗門に対する五代将軍綱吉の病的なまでの弾圧もこの頃のことです。こういった情況の下にあって「不惜身命」に徹し、法灯を高く掲げたのが二世・日近上人です。諸堂宇を建立し、一寺としての形態を整えました。
本阿弥家一族の信施によるところが大きかったとはいうものの、その時代背景を考えますと、日近上人の苦悩と教化への努力は、文字通り筆舌に尽くせぬものがあったと推察され宗柏寺史の上で忘れることのできぬ歴代僧の一人といえましょう。
元文五年(1740)、八代将軍吉宗は、家康が徳川家の血統を守るために御三家(紀伊、尾張、水戸)を確立した故事にならい、御三卿(田安、一橋、清水)を確立し、第四子宗尹を一橋家の初祖としました。以来、宗柏寺は一橋家の祈願所となり、寺運隆昌の一途を辿ります。
 江戸文化が最も憧やかに花開いたといわれる文化・文政(1804〜1829)の頃になると、色々な書物が刊行され、釈迦尊像の霊験顕らかなことはますます広まり、四季を問わず、早暁から深夜にかけて、「お百度」を踏む善男善女が絶えることがなかったといいます。
釈迦尊像の由来を記した『立像仏略縁起』が、木版刷りで刊行されたのも文政六年(1823)のことです。同十年(1827)、幕府に提出された『寺社書上』によると、釈迦尊像、日蓮大菩薩像の二躯ならびに諸尊像が安置されていたと記されており、典型的な庶民信仰の寺院として、人びとの厚い信仰が寄せられていたことがわかります。
天保十三年(1842)、十六世・日永上人によって諸堂宇の改修が行われましたが、嘉永四年(1851)、類焼によって諸堂宇は灰塵と帰してしまいました。幸いなことに釈迦尊像をはじめ主な尊像は難を免がれ、今日に至っています。
明治三十一年(1898)に刊行された『新撰東京名所図会』によると『── 日々繁昌せる霊場にして、大刹ならざるも結構観るに足れり ── 右に銅製の灯明塔次に石の地蔵あり、之を束子にて洗ふ者多し、左に百度石ありて、来りて百度を踏み御符を請ふ者、時として絶ゆることなし ──』と記されております。その信仰は平成になった今日も変わることなく受け継がれ、一心に願をかけ、ひたすら「お百度」を踏み祈る姿が日々後を断ちません。
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